「英語で伝えた場合、日本語で伝える場合の何割くらい伝えられますか」と尋ねると、「三割くらい」と。では、「学生の理解は日本語の何割か」と尋ねると、「二割くらい」と言います。
三割かける二割で六%、つまり、日本語での授業に比べて、六%しか伝わらない講義をして、それをグローバリゼーションと言っている。ー「大世界史」–10–英語での授業など必要ない よりー
池上彰氏と佐藤優氏の共著「大世界史」より、英語を使った授業に関する指摘。ある大学のギリシャ・ラテン古典学を教える教授から聞いた話だそうだ。
4コマのうち、1コマは英語で講義をするようにと学校側の要請を受け、今まで教えていた講義の1つを英語にせざるをえなくなったのだという。
こうやって仮にでも、数値として伝達率を計算してみると、どれだけもったいないことをしているか、分かるというものである。
海外の日本語翻訳本であっても、翻訳者によって当たり外れがあるだろう。ならば、英語が専門でない教授であれば、100%を求めるのは酷というものである。
これが、「英語」を教える授業であれば、「日本語を使わない」ということに、効果はあるであろうが、「古典学」などの教養科目を、ただ「英語」にしたからといって、国際的な教養あふれる人になれるわけではない。
「英語で教養を学んでます」という言葉からは、知的な雰囲気があふれているが、見せかけはよくても、そのじつ、中身は伝わりづらくなっており、授業のクオリティはその分、確実に落ちている。
このことを、池上氏はさらに強い口調で「大学の講義を母国語で学べる強みをみずから進んで失う愚かな行為」だと続く言葉で指摘している。
本書では、この後、「それでは、日本語で世界史を学ぶにはどうすればよいか」と話が展開していくことになる。気になった人は手に取ってもらえればと思う。
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